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5/1・今日から五月・我が家は山梨へGo

 我が家は山梨で遊んできます。 バーベキューセットを用意して河原でバーベキュー出来るところを見つけました。 究極は手ぶらで 遊べるプラン があるみたいですが、 そこまで楽するつもりはありません。 車にコンロと練炭を積み込んで、到着前に食材を買ってから 甲州路に出向くつもりです。

4/30・今日は赤羽馬鹿祭り(みんなで赤羽に11時半集合です。私も娘を連れてGO!)

 https://twitter.com/search?q=%E8%B5%A4%E7%BE%BD%E9%A6%AC%E9%B9%BF%E7%A5%AD%E3%82%8A&src=typed_query ツイッターにもあがってた。今日は赤羽馬鹿祭り。 ↑季語は馬鹿祭りのつもりです。つまり春の風物詩♪ 「4月馬鹿」に因んで赤羽馬鹿祭りが始まったのが戦後らしいです。 お祭りっていうからには、、、と調べて行ったら 地元の武将「太田道灌」を祭る祭りで主催者の報道によると 40万人が集まる(東京都)北区最大のイベントらしいです。 40万って本当かな? (ウィキペディア情報) https://www.akabanebakamatsuri.com/ そもそも、 我が家で赤羽馬鹿祭りが盛り上がったのは昨日のお散歩が始まり。 昔懐かしい思い出の「山中模型店」で玩具をみせてあげようと プラプラ歩いていたら看板を畳んでいるので、つぶれたっぽい。 しかし、 その近くに明日主催の馬鹿祭りの立て看板が出ていて 娘に「明日は馬鹿祭りですって!」と話したところ 目茶目茶に興味を持って行く!行く!ってことになったのです。 拙宅の隣に私の弟(娘のおじさん)が住んでいて、 娘が話したところ弟も行くことになり、 話の勢いで同居しているお婆さんに話したら行くことになり 私を含めて4人で11時に集合という話になっています。 そして赤羽へGo! 電車こむと嫌なので、最初のスピーチが始まる前に 赤羽に行こという筋書きなのですが、 80過ぎのお婆さんが居るので遅くなる事でしょう。 幸いに、 お天気は良さそう(?)なので 今日は楽しんできます。 4:50現在雨の音が少し。。。。。

4/29・ほかほかのパン・メモまとめ

 4/11分) Ⅴ.(好意について)ちょっとした言動の中にちょっとした言い回しの中に  日常感覚的なレヴェルで自分と同等なものを何か認めるからである。 P14.マッカラーの方程式に現れる定数Cは、全くの偶然だが現代の光速度である。 P23.(マクスウェルの本に出会い)ヘヴィサイトは二度と就職することなく  ほとんど人付き合いもなく貧困の中で研究に没頭した。 P26.ヘヴィサイトが名付けたコンダクタンス、インダクタンス、インピーダンス  アドミッタンス、リラクタンス、パーミッティビティー(誘電率)などは  現代の標準用語となっている。 P30.「S.エリオットの詩をもとにしたミュージカル『キャッツ』には「上れ、上れラッセルホテルを超えて、上れ、上れ、上れヘヴィサイト層まで」という歌がある。 P51.(ノッティングヒルで)マクスウェルは1860年から1866年までこの家に住んだ。   マクスウェルのもっとも実りある時期で、重要な仕事はここで行われた。電磁気学   だけでなく、気体分子運動論、三原色の原理、カラー写真の研究もここで   行われた。 P52.(1861年ファラデーへの手紙で)光の媒質と電磁的媒質は一つである   と信じる強い理由があると思っています。 P52.独仏の物理学者が抽象的、数学的な体系を作るのに対し、  英国の物理学者は具体的な模型を使った。 P59.ケンブリッジ、アバーディン、ロンドンを通じて労働者  の為の講義を退職後の1866年まで熱心に続けた。  学生よりも労働者に学問への熱意を感じたようである。 4/12分)  P59.(マクスウェルは)1867年12月11日付のティト宛の手紙に  熱力学第二法則のパラドックス「マクスウェルの魔物」  が現れた。 P59.(マクスウェルは)1871年にケンブリッジに新設された  実験物理学教授をしぶしぶ引き受け、キャヴェンディッシュ研究所  を創設し、キャンデビッシュの遺稿を編集するために全精力を傾けた。  (そして、享年48歳で亡くなった) P64.1920年に「マクスウェルという人物を知っている人はいないか?」  という新聞広告が出た。(実際に知っている人が現れたら)⇒  マリシャルカレッジのマクスウェル宛に配当が届いているが… P75.(トムソン)1846年に自らが発見したベクトル...

4/28・アーサー・ケストナー著「ヨハネス・ケプラー」

P33. (ケプラー自身の自己肖像)その男はあらゆる点で犬に似た性質を持っている。  顔つきは小さな愛玩犬のようだ。身体は敏捷で、きゃしゃで釣り合いがとれている。  食べ物の好みでさえ犬のようだった。彼は骨をしゃぶったり、乾いたパン皮を齧る  のが好きだったし、ひどくガツガツしていていて、目に入るものは何でも飛びつく  程だった。しかも犬と同じで酒もほとんど飲まず、ごく粗末な食物で満足している。  習癖も同様だった。彼は他人の善意を探し求め何事も他人に寄りかかり、彼他の  意のままになり。叱られても決して腹を立てず、熱心に彼らの寵愛をとり戻そうと  努めるのだった……(略)……彼は多くの人をひどく嫌っており、彼らは彼を  避けているが、彼の主人たちは彼を愛している。 P46(手紙で)ついでながら、これまでの所、私の暦の予言はその正しさが証明され  つつあります。この地方は前代未聞の寒波に襲われました。アルプスの農場では  寒さの為に人が死んでいます。確かな筋の報道ですが、彼らが家に帰ってから  鼻をかむと鼻が撮れてしまうのだそうです。 P64.5種類の正立体に対するケプラーの誤った信念は一時的な気まぐれではなく  彼の生涯の終わりまで、、、

4/27・アーサー・ケストラー著「ヨハネス・ケプラー」

 非常に読み応えのある本です。 ジャーナリストである筆者の力強さを感じます。 前書き)ケプラーの本を書いているケストラーはツェツペリン伯に従って北極に行ったりした⇒つえっぺりんを10月? P13.(kepler, keppler, khpler, kepierusなどと名前を記述する側面もある)  自分の名前に対する無頓着さと、日付について極端なまでに精密を期していること、  この二つの対蹠(たいせき)的な態度の共存はそもそも一つの精神を反映している。  すなわち彼にとって宗教、心理および美の本質である。 P14.Weil-der-studt(1935の記載) P16.祖父ゼバルドゥスは名門の出と言われヴァイルの市長となった。  しかし彼の後は名門ケプラー家の家運は傾いていった。  彼の子孫のほとんどが変質者であり、精神を病んでいた。  (父は山師、母は火あぶりになりそうになった。) P17.ケプラーが24歳の時に描き上げた、この星占いによる家系譜(ホロスコープ)  は彼の家族(彼を含めて)を包括している。 P18.4番目はケプラーの父ハインリヒ P20.ハインリヒは1547年1月19日に生まれた。私の父である。不道徳で  頑固で喧嘩好きな男であり、非業の死を運命づけられていた。  金星と火星が彼の邪悪な意思を一層助長した。 P21.ハインリヒ・ケプラーは・・・・・例外は「砲術」  居酒屋・傭兵・ナポリ艦隊 P27.1577年の彗星の話を聞いて知った(ケプラー6才)  9歳の時「両親は月食をみせる為に私をわざわざ戸外へ呼び出した。  月は真っ赤に見えた。」彼の人生の側面の明るい側面はそのくらいだった。 P28.会話もラテン語・・・・(ケプラーのドイツ語で書かれた手紙などの文体は)  天真爛漫で泥臭く魅力的であるものとなており、あたかも厳しい講義室から  解放されて、田舎の縁日か何かで楽し気な歌声をあげている、というような  響きがある。⇒(その後、ケプラーが牧師を選ぶ) P33.犬に似たケプラーの性格

4/26・イケメン評論家・内藤みかさんを知ってビックリ

  今日は内藤みか の「ソーシャルライフブログ」を読んでます。 イケメン評論家として評論したり 息子を数学の世界に誘ったり シングルマザーとして子育てする姿は 全て面白おかしく読んでいけます。 ホスト通いしながらも ツイッターとか新しい仕組みを学び 二人の子供を育てていく姿は逞しいです。 面白い人だと思います。

4/25・ハイゼンベルグ「現代物理学の自然像」

 P174.(ド・ブロイの引用を最後にハイゼンベルグが語ります。漢数字を算数時に直します)  われわれの付録の目的はもっとも著名な自然科学の代表者の  著作からのいささか不十分足らざるを得ないような抜粋を  通じて近代自然科学の歴史的立場を少なくとも暗示的に記述する事  であった。我々は要約して次のことを強調したい。 ①近代自然科学はその発端において意識的な謙虚さを特徴とする。  それは厳重に制限された関連に対して、ただその枠内で適用する記述をする。 ②19世紀において、この謙虚さは失われていく。物理学の知識は  全体としての自然に対する陳述と考えられる。物理学は哲学でありたい  と欲し、そして再三再四、それぞれの真の哲学は自然科学ではなければならない  と要求された。 ③今日、物理学は変化している。その元来の謙虚さへの復帰が、その変化の  目立った特徴であるように見える。 ④科学の哲学的価値は、科学がその限界を知るようになる時のみ認められる。  そして真実の哲学的見解へ移行する知識に到達する。 p180.人文主義と文芸復興の時代(15及び16世紀)と共に  我々にとって極めて重要な自然観が起こる。自然への通路は何より  実験によって探し求められる。 ①ダヴィンチ(1452ー1519)…(略)…広範な遺稿の選集.M.ヘルファルト  「レオナルド・ダヴィンチ・思想家・探究者および詩人」  (イェナー・1910)実験は前もって計画された理論、これが実験によって  確認されるか或いは否定されるかを吟味するために自然を調べる事である。 ②レオナルドの実験概念はベーコン(1561-1625)  (学問の発達と進捗に関する2書。1602.)の新しい基本的立場  にも一致している。 ③実験概念はガリレオガリレイ(1564-1642)によって拡張される  (主著・UnnciusSiderenus.1610.)そして我々は彼およびケプラー  (1571-1600)により宇宙概念の復帰に巡り合う。 ④ジョルダノ・ブルーノは自然および万有の新しい概念の擁護者であった。  …古い地球中心説と新しい太陽中心説を対置するばかりではなく  この種の世界があるだけではなく、無数の正解があることを  認めたことが問題である。