今日もメモを残します。
1920年代初頭の前期量子論の進展に続く不確定性関係の
確立の時代です。
P150.(アインシュタインは)確率を持ち込まなければならない
理論は不完全だというのである。
理論は不完全だというのである。
P155.(私のメモ)⇒ 桑木 の後継者が 藤森?
P162.(1929年)ハイゼンベルグとパウリは原子物理学の詳細を
磨き上げる雑魚どもーーとパウリは冗談に言った--に任せて
新しい量子化の方法を電磁場に適用するという残された
主要な仕事にとりかかったいた。
新しい量子化の方法を電磁場に適用するという残された
主要な仕事にとりかかったいた。
p164.ディラックと図書室の脇で…
p166.「他の人の仕事に口出しする事をしたことがない。
彼の時間を無駄に費やすのではないかといつも心配した。
彼の時間を無駄に費やすのではないかといつも心配した。
私自身の時間を費やすことは何とも思わないが
他の人の時間を無駄にしたくない。」
非常に思いやりがあって、とても学閥など作る人ではなかった。
コペンハーゲン精神を広めなかった別格の人である。
p166.⓪1928年の春ライデンに居た頃に…すぐに答えが出ない
ような質問があった。ディラックは黒板に非常に小さい文字で
それをかくすようにしてすばやく計算した。それを見て
エーレンフェストは興奮して「彼が実際にどうやって研究を
するか垣間見ることが出来る!」といった。しかし、
みんながそれをよく見ない内にディラックは直ぐにその計算を消して
何時ものスタイルでエレガントな表式を書き進めた。
(以上、カシミールの経験)
①ディラックは「パウリには一個の砂糖で十分だと思う」と言った。
しばらくして「誰にも一個の砂糖で十分だと思う。」
更にしばらくして
「一個の十分なように砂糖は作られていると思う。」
(こればボーアがカシミールに話したことだという。
②ディラックと研究所の図書館の脇で立ち話をしている
時のことです。仁科はディラックに 貴方の論文には
符号の誤りがあるのをみつけました。」と言ってから、
次のような会話が仁科とディラックの間で交わされました。
ディラック「しかし結果は正しいですよ。」
それに対して仁科は「では二つあやまりがあるにちがいありません。」
するとディラック「偶数個の過ちがあるといわなければなりませんね」
③1933年のボーア・コンファレンスで恐らくディラックだけが
エーレンフェストの相当なうつ状態に気付いていた。その事を
心配してボーア夫人に話したが、誰も何もできなかったという
(後にボーア婦人がカシミールに話したこと。)エーレンフェストが
命を絶ったのはそのすぐ後であった。
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