以下、私なりに抜粋を続けていますが余り詳細に記載すると著作物のネタバレにつながるので書評の原稿を書き終えた時点でどんどんブログの奥の階層へ落としていきます。リンクも残さずに書評だけ残します。
P43.(ウランやトリチウムよりもラジウムやボロニウムの方が
放射線が高いとキューリは1898年に発見した。)
P44.ラザフォードは1902年にα線も強力な磁場で曲げられることを示し
α線がβ線よりはるかに重い正に帯電した物質粒子であることを確かめた。
⇒1903年の放射性遷移理論へとつながる
P44.(ラザフォードの仕事)この理論によって混乱状態にあった
放射能研究が整理され、その後の研究が方向づけられるようになった。
P44.自分が化学者に変わったことに驚いたとラザフォードは苦笑していたという。
P45.ラザフォードは原子核の発見者となった。
P46.(トムソンのモデルが支配的だったのに対して)ラザフォードのモデルの
重要性は原子のほとんどの質量を担う中心荷電粒子、つまり原子核が
原子の大きさに比べて極端に小さい事にあった。
P48.(ボーアはラザフォードに)原子モデルとの関連性を強調し過ぎないように
比較的乏しい実験的証拠から性急に結論しないようにとたしなめられたという。
P49.(ラザフォードとボーア互いの夫婦の写真)
P50.ボーアは1913年ラザフォードの電子モデルに量子論を適用し
水素原子の発する光のスペクトルを見事に説明したことにより
一躍注目される
P50.(ソルベー帰りのラザフォードは)知人宅で彼独自の熱っぽさで
物理学における新しい……
P51.ラザフォードは色々な点でボーアと違っていた。性格的に
正反対でボーアと違っていた。ラザフォードは研究室中に鳴り響く
ような声で笑い簡単明瞭に話す。
P51.ボーアにとってラザフォードは、やがて父親のような存在となる。
P64.P・エーレンファストもローレンツ宛の手紙で「ボーアのバルマ公式
の論文にはガッカリさせられました。あのようなやり方で目的が達せ
られるのであれば、私は物理を止めなくてはなりません」と書いている。
P64.ゾンマーフェルトと石原…
P64.ナンセンスだとも曲乗りだとも言われた。
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