スキップしてメイン コンテンツに移動

4/3・西尾茂子「現代物理学の父ニールスボーア」

 P4.アインシュタインは常に変わることなくボーアの精神的ボクシングの

 最上の練習相手であった。

P6.(ボーアに対して)物理学者として最も優れ、社会人として最も件名で善良な

 一人の人物が何を考え、何を行ったかをただ、記述しようとしたに過ぎない。

P27.(ボーアは)この修士論文の出来具合に彼は極めて満足していたことが

 弟ハラスへの手紙からわかる。これは締切日の6/28に提出していた。

 筆跡は母の物である。

P27.1911年1月に論文は完成して印刷され4月に学部に提出された。

 論文を書き上げた直後、2/8に父クリスチャンセンが死去した。

P33.ローレンツの言うように電子は速度と共に変形するか否か

P33.J・J・トムソンの1903~1904の物である

P33.(アインシュタイン・プランク)1910年前以前の量子力学の研究は

 ほとんどこの二人だけが行ったと言っていい。多数の物理学者は

 量子論を無視するか疑惑の目で見ていた。

P33.電子論というのはローレンツが物質と光の相互作用を扱うために

 マクスウェルの電磁理論を拡張し、精密化する事によって1890年頃

 に作り上げたものである。⇒(この理論はエーテルの概念を含む)

P36.(ネルンストはアインシュタインと1910年頃に量子論の

 重要性について語り合った。

P36.(E.ソルベイから一流の物理学者を呼んで国際会議を主催したい

 と相談を受けたのはそれから間もなくのことだった。

 (ベルギーのブリュッセルで開く)


(私論)大学の近代化が進む背景として、欧米では産業革命とフランス革命という

 技術的・経済的・産業的な大変化を伴っているのに対して、日本においては政治的

 な構造変化が非常に遅かったので物理学が一般大衆に伝わりにくかったと言える。


コメント