P164.ヘンリーが強力な電磁石を作ったことはファラデーを刺激した。
P165.ヘンリーはその年にニュージャージーカレッジ(プリンストン大学
の前身)から教授として招聘された。
P169.ヘンリーは1849年、義務感で(スミソニアンの)所長を
引き受けワシントンに移った。
P177.ロイヤル運河を跨ぐようにして作られた橋に
「1843年10月16日、歩いている途中のこの場所で
ウィリアム・ローゼン・ハミルトン卿は天才のひらめき
によって、四元数の席に関する基本公式、
i^2=j^2=k^2=ij=jk=ki=-1
を発見しこの橋の石に刻んだ」と記された名盤が埋め込まれている。
P180.ハミルトンが「代数学の解放者」と呼ばれているのは積が可換ではない
代数を発見したからである。
P183.ハミルトンは(1827年)6月16日にトリニティーの
天文学教授に指名された。
P184.ハミルトンは望遠鏡を覗くことは殆どなく数学の
研究に没頭した、
P184.翌年発表した「第二論文」で極めて洗練された「正準形式」を作った。
また、特性関数を拡張した「主関数」に対する方程式を導いた。
(「ハミルトンーヤコビー方程式」)。ヤコビーが1827年の論文で
一般的に発展させた。ヤコビーは停留作用の原理を「ハミルトンの原理」
と名付けた。この年8/15日にトリニティー図書館ロングルームでナイト
に叙せられ1837年には王立アイルランドアカデミー会長に選ばれた。
コメント
コメントを投稿