P151.ハイゼンベルグは1924年の復活祭休暇にコペンハーゲンの
ボーアを訪ねた。ボーアは物理を語り合うためにリックサック
を背負い、22歳のハイゼンベルグを連れてヘルシングエール
まで往復するハイキングへ出かけた。
P151.(ハイゼンベルグは1925年の)「運動力学及び力学の
関係式の量子論的再解釈について」が突破口になった。
その論文を読んだボルンはハイゼンベルグの遷移振幅が
行列であることに気付いた。ボルンとヨルダンは「量子力学について」
で座標と運動量の交換関係を与えた。ボルン、ヨルダン、
ハイゼンベルグの「量子力学についてⅡ」によって行列力学が完成した
「現実には短期間に実現できない」事を伝え、ドイツが核兵器を開発する
意思がないことを暗黙のうちに理解させようとしたが、ボーアは前段で動転し
意思がないことを暗黙のうちに理解させようとしたが、ボーアは前段で動転し
ハイゼンベルグの意図を受け止められなかった、
というのがハイゼンベルグの言い分である。
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