P59.(マクスウェルは)1867年12月11日付のティト宛の手紙に
熱力学第二法則のパラドックス「マクスウェルの魔物」
が現れた。
P59.(マクスウェルは)1871年にケンブリッジに新設された
実験物理学教授をしぶしぶ引き受け、キャヴェンディッシュ研究所
を創設し、キャンでビッシュの遺稿を編集するために全精力を傾けた。
(そして、享年48歳で亡くなった)
P64.1920年に「マクスウェルという人物を知っている人はいないか?」
という新聞広告が出た。(実際に知っている人が現れたら)⇒
マリシャルカレッジのマクスウェル宛に配当が届いているが…
P75.(トムソン)1846年に自らが発見したベクトル量の
時間微分係数を電磁力に加えれば電磁気学は完成していた。
だが、トムソンは二度とこの論文に戻ることはなかった。
「そのような理論」を発見したのはマクスウェルである。
P89.エネルギー保存則が上手く導けないのである。そこで
ゲッチチンゲンにやってきたエミー・ネーターに相談した。
P91.(エミーは)「食べないと数学が出来ないでしょう? 」と反論した。
P91.ヴァイルは「エミー・ネータは一塊のパン」のように暖かかった。
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