148.つまり不確定性関係は数学的要求、光の粒子性と不連続を波動性より
優勢に老いた所からしか、出てこない。
(ボーアがハイゼンベルグを 細かく批判した点)
⇒二か月の議論でボーアのコペンハーゲン解釈…コペンハーゲン…
⇒第5回ソルベー会議(桑木・仁科)
P156.(アインシュタイン曰く)
「私の科学的直感にあまりに反するがゆえに、
私はさらに完全な概念を探し求める事を
やめるわけにはいかない」と書いた。
ボーアは、この行きづまりを非常に悲しんだという。
P156.いわゆる深い事実に組する言い方をすれば
反対者もまた深い真実を含むというわけである。
アインシュタインとの討論によってボーアの相補性の考えは
ますます磨きがかかり練り上げられた。
P164.相補性と富士山
P225.1943年ボーア亡命
P266.ローゼンタールの引用。ボーアが原子炉
P436. 1943年ボーアと息子はアメリカへ⇒コペンハーゲン
P203.リーゼ・マイトナーのドイツ脱出(他ランダウ)
P211.(マイトナー・ワリッシュが36年に覚書))
⇒ボーアは彼らの覚書が書きあがるまで黙っていると言い
彼らの優先権を保証した。
P212.1940.4.9ドイツ軍デンマーク侵攻⇒無条件降伏
⇒ノルウェー、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ
フランスとの停戦(ボーアの母がユダヤ系)
P222.カシミール、ハイゼンベルグ、ボーアのドイツ観
コメント
コメントを投稿