休日なので書評(メモ)をまとめます。
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(以下24行は3/15文)
P191. 1975.10.29の手紙から ∫ と d が現れ
∫ と d が逆関係にあることが記されている。
「すなわち記号∫が次元を増やすようにdが減らす。記号∫は和を、
記号dは差を意味する。」と書いている。(ライプニッツが書いている)
P194. 「活力論争」は19世紀にエネルギー保存則の確立によって終わる。
「活力」にエネルギーという名を与えたのはヤングだ。
P206.(ヤコブとヨハンは)1699年にパリ科学アカデミー会員
に選ばれてたが喧嘩を止めること、という条件が付けられた。
P207.オイラーと過ごした1733年までがダニエルのもっとも実りある時だった。
P208. 当時大陸ではニュートン力学は受け入れられていなかった。ダニエルは
ライプニッツの微積分とニュートン力学を支持する最初の物理学者だった。
P209.ダニエルの考え方はあまりに時代の先を行き過ぎていた。
近代的な分子運動論はダニエールから一世紀以上が過ぎた1856年の
タレニーヒと翌年のクラウジウスに始まる。
P211.「固有値問題」、「固有振動」、「重ね合わせの原理」はダニエル
の発見である。
P224.ヘルムホルツは1864年にロンドンに招かれた時に
マクスウェルの家に招かれている。
P13.アインシュタインは「奇跡の年」1905年の最初の論文
「光の発生と変換に関する発見的な見方について」によって
「光量子仮説」を提唱し、量子力学建設の最初の布石を打った。
ところが若い「革命家」たちが量子力学を完成した時、
アインシュタインは
決定論に矛盾する量子力学の基本原理を認めようとしなかった。
(以下15行は3/13分)
P130.ヤングは両親から高潔…クゥエーカー教徒としての
P133.1795年にゲッティンゲン大学
P146.ディクレの最初の論文はフェルマーの最終定理
に関するものである。フェルマーの方程式
x^n+Y^n=R^n に対して
n=4に対してはフェルマーが解いていて
ディクレはn=5に対して回答を与えた。
P150. 超ひも理論でのDブレインのDはディクレに由来するわけだ。
P150. ヤコビーが伝えている事だがガウスは「整数論」
の原稿を燃やして…
P163.「(ラウエは)レントゲン線」による干渉実現象を発表した。
X線が光と同じ電磁波であること、物質が原子構造を持つ
事が証明されたのだ。
P165.超電流がラウエの発想。白い手袋
P174.ファンデルワールスは高等小学校の教育を受けただけである
(以下19行3/9分)
太田浩一の本を読み進めています。
特にエーレンファストの人生に感動してます。
以下メモ。
P70.1906年に恩師ボルツマンの自命を知り、
エーレンファストは夫人となったタティアンナ
と共に1911年に「力学における統計的観点の概念的基礎」
を出版した。
P72.1912年にエーレンファストはアインシュタインを訪ねた。
金曜日にプラハの駅に迎えに来たアインシュタインに出会い
夜も通して議論を重ね、日曜日にはアインシュタインのバイオリンと
エーレンファストのピアノでブラームスのバイオリンソナタ
を合奏した。
P75.波束の重心はニュートン方程式の意味において
波束の位置を支配する力に従う。(エーレンファストの定理)
P75.1915年にエーレンファストはアインシュタインと
ボーアを自宅に招き議論の機会を作った。そして、
1917年にソルベイ会議が開かれてアインシュタインは
「不確定性関係」に対して次々と反論を持ちかけて、
ボーアは反論を次々つぶす道具を哲学的煙雲の中から
必ず探し出す。
(以下34行は3/8分)
太田浩一の「ガチョウ娘に花束を」を読んでます。
夫々の科学者のお墓を訪ねるショートショートですが
しっかりした下調べと知見と現地調査に基づいています。
個別にメモを残します。
P8.アインシュタインは「スピノザのエチカへ寄せて」
という詩の中で
「僕があの高貴な人をどれほど愛しているか
言葉では言い尽くせないまでに。
だが僕はあの人が孤立していることを懼れる
輝く聖なる光と共に」
P11.アインシュタインは「存在するものの合法的調和の中に現れる
スピノザの神を信じる。」
P24.ヘルツ「回転体球の誘導について」で学位をとる
P28.ヘルツは1887年5月27日に論文
「紫外線の電気放電に対する効果について」
で光電効果に対する研究を始めた。
P29.ヘルツは1894年に敗血症で36歳で亡くなった。
「力学原理」で力学から力の概念を消去して、
時間・空間・質量のみを用いて公理と演繹の数学体系を作った。
ボルツマンは一週間、この本に没頭した。
妻にあてた手紙で思わず「愛しいヘルツ」と書いてしまった
とのことである。(ドイツ語で「愛する人」は
HertzではなくHerzである。
P30.レナールトはナチ物理学者
P39.ローレンツの偉大な業績は電子論である。(中略)
マクスウェルの理論では電荷の意味がはっきりしなかった。
マクスウェルは誘電体であるエーテルが分極する事によって
電荷が生じると考えた。
P44.マイケルソンモーレの1887年の実験でエーテル仮説が否定された。
P55.レントゲンは「ドイツの大学教授の良き伝統に従って、
その発見や発明は人類に所属するものであり、それらは
特許とか、ランセンスとか、契約とか、あるいはある特定の
団体に管理されるべきではない、というのが私の意見です。」
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