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太田浩一の「ガチョウ娘に花束を」を読んでます。
夫々の科学者のお墓を訪ねるショートショートですが
しっかりした下調べと知見と現地調査に基づいています。
個別にメモを残します。
P8.アインシュタインは「スピノザのエチカへ寄せて」
という詩の中で
「僕があの高貴な人をどれほど愛しているか
言葉では言い尽くせないまでに。
だが僕はあの人が孤立していることを懼れる
輝く聖なる光と共に」
P11.アインシュタインは「存在するものの合法的調和の中に現れる
スピノザの神を信じる。」
P24.ヘルツ「回転体球の誘導について」で学位をとる
P28.ヘルツは1887年5月27日に論文
「紫外線の電気放電に対する効果について」
で光電効果に対する研究を始めた。
P29.ヘルツは1894年に敗血症で36歳で亡くなった。
「力学原理」で力学から力の概念を消去して、
時間・空間・質量のみを用いて公理と演繹の数学体系を作った。
ボルツマンは一週間、この本に没頭した。
妻にあてた手紙で思わず「愛しいヘルツ」と書いてしまった
とのことである。(ドイツ語で「愛する人」は
HertzではなくHerzである。
P30.レナールトはナチ物理学者
P39.ローレンツの偉大な業績は電子論である。(中略)
マクスウェルの理論では電荷の意味がはっきりしなかった。
マクスウェルは誘電体であるエーテルが分極する事によって
電荷が生じると考えた。
P44.マイケルソンモーレの1887年の実験でエーテル仮説が否定された。
P55.レントゲンは「ドイツの大学教授の良き伝統に従って、
その発見や発明は人類に所属するものであり、それらは
特許とか、ランセンスとか、契約とか、あるいはある特定の
団体に管理されるべきではない、というのが私の意見です。」
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