Ⅴ.疾走するかなしさ(物理学者についての記載)
P21.アンドレ=マリーアンペールは1775年1月20に「絹の都」リヨン
の商業地にあるサニタントアーヌ海岸で生まれた。
P26.(エールスンデは論文の中で)
「電気的衝突は導線の周りで円を作る」と述べている。
(衝突⇔磁場・の対応に着目)⇒カントの流れ⇒「力の統一の端緒は…」
P28.磁性体が微小電流の流れる分子からなるという考えは
やがてウェバーによって分子論へと発展していく。
(アンペールの分子電流に関して)
アンペールの墓石には「彼は人間を愛した。
彼は素朴で善良で偉大だった」と記されている。
P51.(カルノーは)実戦の指揮をとりオーストリア軍を撃退した。
P56.サディーの論文スタイルはらザールから受け継いだ。(カルノー家)
P66.ケーニスヒルペルグはカントの町である。
ケーニスヒルペルグ生まれの数学者・物理学者にヘッセ、
キルヒホッフ、リプシッツ、クレプシュ、
ヒルベルト、ゾンマーフェルトらがいる。
P82.ブルーノが火刑になったのが1600年、
ガリレイが異端審問で有罪になったのが1633年、
デカルトが「宇宙論」を取りやめ、ガリレオを擁護した
カンパネラがパリへ逃げてきたのが1634年である。
それから間もない時期に言いたい放題を言うシラノは痛快だ。
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