P133.ガウスは後援者を失った。オルバースは1802年にゲッチンゲンで建設予定の天文台所長 にガウスを迎える可能性を非公式に打診したが、ガウスが正式に…
P129.1509年にフルーのがやってきた。
P132.(デデキントは)ゲッチンゲンでのガウスの最後の学生となり、コロキウムカリテリムが工科大学に昇格する時にブラウンシュバイツに戻ってきた数学者だ。
P136.ガウスは私信では、公表していない仕事をもとに
先取權を示唆するような事をしばしば行っている。許されないことだ。
⇒P137.ベクトル・ポテンシャル
P146.(コーシーも過激王派である)・・・・・エコポリテク、ソルボンヌ、コレード・ジュ・フランスの全ての職を失った。(そんな中で)
「コーシーの積分定理」が現れる。(また11/21に)
「留数定理」が現れる。
P147.(コーシーは1933年に)シャルル10世の孫で
王位正当後継者であるボルドー公アンリダルトアに
数学と自然科学を教える事を依頼されたのだ。ボルドー公もまた、
コーシーの顔のど真ん中に雪の球を投げつける様ないたずらをする
悪ガキである。
P154.ソー墓地ではコーシーとキューリ夫妻が(埋葬されている)
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