本日は太田浩一の著書を読んだメモです。
P111.(パウリの母について)パウリを生んだ後に女子高校に通い27歳で卒業している。平和主義者として社会主義者として執筆活動をしていた人でパウリに大きな影響を与えた。
P117.1927年母が服毒自殺した。
P118.(パウリは)1928年4月1日にETH教授になった。
P118.(1930年パウリは)酒とたばこに依存するようになった。
P119.(1930年パウリは)ほとんど質量のないであろう中性粒子の存在を予言した。
P120.1934年4月4日(パウリは)フランカ・ベルトと再婚した。フランカはフリードリッヒ・アドラーの秘書をしていたと言われる。アドラーはETHの。。。。
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