オッペンハイマーを包む人脈を改めて思い出したいと思います。
新しい物理学が1925年のオッペンハイマーの行列力学
に始まり、ケンブリッジの秀才達でさえ、
(ディラックを除いては)理解の及ばない進化を続けていたのです。
朝永振一郎の回想によると、「(彼が研究を始めた)1926年の秋に
研究生活に入ったのは、新しい量子力学が誕生した直後で
何をおいても先ずその勉強をしなければならかなった。…
ドイツ語を学んで現論文を読むよりほかに手はなかった。」
そんな環境でオッペンハイマーが急速に知識を吸収して
ゲッチンゲンでの修業時代にボルンと「分子の量子理論に対して」
という大きな仕事を成し終え、ボルンのサロンで論客たちを相手に
一線級の議論を繰り広げていたのです。ハイゼンベルグ・ディラック・
パウリ・フォンノイマン・フント・ヨルダン・フントといった
物理学者と意見を交わし、刺激をしていったのです。
とくに、エーレンフェストとパウリはオッペンハイマーの
二度目の訪欧ではとても大事な貢献をします。
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