オッペンハイマーの伝記を読み進めています。
特に今回は小説の後半部分の記述となります。
有名なオッペンハイマーの言葉ですが、
「物理学者は罪を知った」という発言に注目します。
(P414)ダイソンは「宇宙をかき乱すべきか」
という著書で述べています。
「コーネル大学のロスアラモス経験者のほとんどは
このオッピーの言葉を腹立たしく拒絶した。」
また、
A.K.スミス(「危険と希望」の著者)は
「オッペンハイマー書簡集」の中で
「日が経つにつれて、気落ちの反転はいよいよつのり、
それと共にー戦争が終わったことが
原爆を正当化したと考えた人たちでさえー
悪というものの実在について強烈に
内的な経験を味わったのだ。」
著者はオッピーの意図はA.スミスの心情に近い
と表現しています。
また(p425)での記述では1947年にシェルター島での会議で
ラムシフトが議論されました。続いて1948年に
守備んがーが8時間喋り続けたスピーチがあり、
別途朝永振一郎がオッペンハイマーに手紙を書き
持論を展開したことがきっかけとなってPRL
への投稿が実現して、最終的に
朝永振一郎はプリンストンへ招へいされるのです。
コメント
コメントを投稿