江戸の文化や大阪の文化に並び称される地方都市としての凄さを感じさせる部分ではあります。ほか、宮城県仙台市や名古屋尾張などの都市も別にあるのですが、、加賀藩を開いた前田利家は戦国の世で独自の働きをしたからこそ、その名残がいまでも感じられるのです。仙台を城下町とした伊達政宗もしかり、このような武将は地方に根を下ろし文化を生んでいます。文京区にある東大の赤門も加賀藩の屋敷跡の名残ですし、帝京大学のある当たりの板橋区加賀も加賀藩の外屋敷の名残です。東京の北で暮らしている筆者にとってとても加賀は名残深い気もしてしまいます。
そんな前田候の戦いの中でと起筆すべき戦いがあると思うので別途ご紹介いたします。
「賤ケ岳の戦い」です。
その戦の主役は柴田勝家と豊臣秀吉です。ともに戦国時代の群雄割拠の中で織田信長亡き後の攻防として語り継がれる戦になっています。この戦いでの前田利家の判断が絶妙を極めていたと思います。はじめ柴田勝家側についていた前田利家はある局面で豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)側についたのです。戦局を判断して矛を収める。そのずる賢さは特筆に値します。そもそも、私論では戦に道義無く、道しるべは天下統一の後の安泰な暮らし。そのために出来ることは冷泉な判断と掛けにも似た思い込みなのです。利家公の判断はその後の誰しもが認めるところで、加賀という国を守るための対局判断だったのです。
斯様な様々な修羅場を経て加賀百万石を存続発展させた前田家の名残を私もいつか見て見たいと思います。金沢まで足を運ぶつもりです。ますます運びたくなりました。
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